1996年にMINEという雑誌に載った慎吾さんの記事を紹介します。
退所する3人はそれぞれ大変な苦労をされていると思いますが(残留のメンバーが楽をしていると言っているわけではありません)、特に香取さんはスマステ打ち切りや去年から名誉毀損で訴えてもいいくらい三流マスコミに心ない中傷記事がいくつも出てつらい思いをされたに違いないので、香取さんと香取さんのファンへの応援、ということで。
この記事が出たのはもうスマスマも始まっている時期で、『透明人間』で初の主役の記者発表の後でのインタだったのかな?記者会見は300人くらい殺気だった記者が集まってごった返してて、係の人が落ち着いて座ってもらわなくちゃ、ということで怒声を張り上げたんだけど、慎吾くんはそういう言われた人が嫌な気持ちになりそうな場面が苦手で、ホントは自分がおどけて注意したかったって。19歳の時から人に気を使う優しい人だったんですね。
この頃はまだ美術商を営むご両親や弟さんと一緒に住んでいらっしゃっていて、夜を徹してたわいのないことを楽しく話し合うような仲のよいご家族の様子がうかがえます。香取さんももちろんずーっと前にご両親のところから独立されたのでしょうが、香取さんのご家族のほんわかとした雰囲気は彼の人となりから今も伝わって来る気がします。
1996年当時私はまだSMAPのファンではなく、この記事や他の雑誌の切り抜きをファイルしたバインダーは、元森くんのファンだった方が私の友人に譲られたもので、今一時的にお借りしています。
著作権はこの程度だったら全く問題ないはずですが、出典情報としては、写真撮影が林久光さんで記事を書かれたのが西野雅子さんです。林さん、西野さん、素敵な記事をありがとうございました。香取さんのファンの方で記事をお読みになりたい方は東京か関西の国会図書館まで足を運ばれたら閲覧もコピーもできると思いますよ。
By Yumey