『クソ野郎と美しき世界』:『走れメロス』再考

『走れメロス』のテーマは「友情」。だからどうしても2015年から2016年上半期のSMAPメンバーたちのことを考えてしまいますよね。メロスが諦めかけていたのはSMAP、あるいはメンバーたちと自然に思えてしまう。

だけど、今は状況が逆転して、上二人がジャニ事務所に幽閉されているとも考えられる。「新しい地図」の3人が、理不尽な圧力や忖度によるレギュラー番組打ち切りや地上波からのハブなど数々の困難と戦いながら、走り続けて上二人が事務所から出れるように頑張ってる、のかな?実際、3人が結果を出すことで5人が一緒にG活動ができるように計らってくれる芸能界の重鎮が出てくるかも、という気はします。3人が成功することでSMAPがまだまだ需要があることが判明して復活への機運も高まると思われるし。

さらに第三の解釈として、メロスが帰ってくるのを待っている友人がSMAPファンで、一生懸命SMAPを届けようとしてるのが5人(または6人)と考えてみる。私たちの知らないところでSMAP再始動を妨害する障害を一つ一つ取り除いて、一生懸命努力している5人。その過程で5人はSMAPを諦めかけたこともあっただろうし、ファンは「もうSMAP再結成は無理なのかな」って気持ちが強くなって信じられなくなったこともあると思う。身代わりで人質になるメロスの友人は、メロスが簡単に裏切って逃げられる状況で信じて待つ方がバカと王様にも世間一般にも嘲笑される。スマヲタも「お花畑」とネットではずいぶん揶揄されていますよね。

昨年秋以降は特に、5人は5人の間にある信頼と絆をかなりストレートに提示してくれているけど、SMAP再結成については今裏で実際どんな交渉がされているのかファンは全く知ることができない。ただ信じて待つしかない。
だからこそ映画で『走れメロス』に言及してファンが気付いてくれるように工夫したのでは?

さて、SMAPメンバーたちは無事にファンにSMAPを届けられるか、SMAPファンは彼らを信じて応援を続けられるか。最終的に、王様=世間一般を感動させるほどの絆があると証明できるか。

私はSMAP転生のリアルなドラマはこの先長く何十年も語り継がれることになると思っていますが、私たちファンもマジでSMAPヒストリーの割と重要な劇中人物になると思う。
5人がどんな形で「Get together=一緒になる」ことができるのか想像もつかないけど、今の5人を見ていると5人を信じていいんじゃないかな?
『走れメロス』は私たちにそれを伝えるためのメッセージだったのかも。

Yumey

追伸:「Get together」は木村さんがワッツでかけてくれた『Peace!』の歌詞にありましたね

『クソ野郎と美しき世界』はSMAPファンへ のメッセージ

2週間限定で全国86館のみ上映、15万人が目標で実際には28万人動員。
第2弾の制作も決まって、ファン以外の多くの方々に見ていただけたのはもちろん嬉しいけど大事なのはファンが楽しむこと、SMAPからのメッセージを受け取ること。
映画通の人の感想も偉そうな映画評論家の意見もぶっちゃけどーでもいい。
この映画はSMAPがファンへのメッセージと愛を伝えるために作ったんだと思うから。

映画を解釈するには緩〜くルースに暗喩で語られているので、この登場人物は誰のことを指している、と決めつけないで、同一のキャラが場面場面で違う人物やグループ、組織を指しているという前提で理解することがこの映画を考察する時のコツかも。

Ep. 1で追われているのはフジコちゃんはSMAP?飯島さん?副社長さんたちに追い詰められてたんだよね。でんでんさんが助けてくれるのはジャニーさんがJドリ設立してそこをベースにSMAPが活動できるようにしてくれたことを示唆してる?
また、フジコちゃんは「待ってるぜ」SOSのサインが上がると他のジャニーズGへの浮気をやめてSMAPの元へ走っていく(応援する)SMAPファンとも考えられる。
で、とにかくSMAP=天才ピアニスト吾郎とフジコちゃんは追っ手が迫ってきてたのも知らずいちゃいちゃしてた。
そこへ大門一派が現れて吾郎さんの手=SMAP5人を潰してしまう。

Ep. 2はファンタジックで中島セナちゃんが演じる「歌喰い」っていうなんとなくバンパイアを思い出させる素晴らしく独創的な生き物と「慎吾ちゃん」が出会うお話。
画家の慎吾ちゃんは公共のスペースに壁画描いちゃって補導されちゃうんだけど、ストリートガールが「オリンピックが近くなって東京が住みにくくなってきた」って言ってるのはSMAP解散にやっぱりオリンピックやパラリンピックが絡んでたということかな?交番のポスターその他にも面白いメッセージがありましたね。
路上ライブの女ボーカルもダッサいお洋服とかいかにも、だし、フォークシンガー小象さんも面白かった。歌喰いに「まずい」なんて言われちゃってたけど『二人の中にどろぼうがいる』はとてもいい曲。
補導された慎吾ちゃんに女刑事が「公共のスペースに絵描くとか法に触れることするのはやめて、歌でも歌いなさいよ」っていうサジェスチョンに香取さんは「一人で?」って聞き返す。そりゃ5人で歌いたいよね。
刑事さんに言われたと通り歌歌おうとするんだけど最初の一声を発しただけで歌喰いに食べられちゃう。どのスマ歌を歌おうとしてたのかは、現在ツイッターでも諸説が流れています。
一方歌を喰われたキーヨさんは絶望のどん底で自殺を目論む。これは3流マスコミが意地悪でSMAP騒動時香取さんが「自殺したいと思ってた」なんて書いてたのを揶揄ってるのもあるけど、SMAPのメンバーたちもSMAPファンも自殺したいくらい苦しかったことを思い出させます。キーヨさんは『また会う日まで』は自分の「raison d’être レゾンデートル (フランス語で「存在意義」)」だって言ってるんだけど、SMAPのメンバーもピンで他にいろいろ芸能のお仕事ができてもSMAPでいることは自分のレゾンデートルだったんだよ、って伝えたかったのでしょう。その自分の存在意義であったSMAPの活動をジャニーズ事務所でできなくされてしまった。副社長さんたちはSMAPを少年隊のようにする予定だった。だから退所という重大決断に至ったということ。
『また会う日まで』の歌詞にあるように「ドアを閉めて」「(SMAPの)名前消して」、「別れのそのわけ(=ジャニ事務所とのいざこざ)は話したくない」のでしょう。
ちなみに拳銃を渡したムキムキムキム(ラ?)のパン職人は高視聴率韓国ドラマの赤いチーフをつけたキム・タックを連想させますね。拳銃は弾が抜いてあり死ねなかった。
キーヨさんはその後歌喰いの未消化の?アレを食べて歌を取り戻す。
慎吾ちゃんはその夜泊まることになった歌喰いに子守唄を歌ってあげるんだけど「羊」のところで歌を喰われて、朝起きてみたら歌だけじゃなくて制作した絵のすべても喰われちゃってた。
にしても歌喰いは生きていくためには歌を喰わないと仕方がないといい、慎吾ちゃんは憎いはずの歌喰いと共生共存の道を選んでる。ジャニ事務所ともそんな感じなのでしょう。

Ep. 3ではヤクザの組を脱退して小指を切られたクズ野郎オサムが妻と一緒に、死んだ息子腕を移植された少女を探しに出かける。北の方には(北側・キタガワ)では見つからなくて地図のS(南)の方、沖縄で見つかる。Ep. 3に一貫して流れているテーマはメンバーの誰かさんたちを思い出させる野球と海。少女のいなくなったお母さんはジャニ事務所から追放された飯島さんのこと?少女の希望である医者になって病気の人を助けたいっていうのはSMAPの芸能活動なのかボランティア活動なのか。誘拐されていた光はSMAPなのか、上二人なのか、木村さんなのか。死んだ息子はSMAPなのか。移植された腕は飯島さんなのか、SMAPの権利なのか、一部メンバーなのか?そしてその腕が見つかったのは名護(名前を護る)ででした。
看板の「なかむら制服店」も中(居)(木)村を連想させる。
オサムが借りた小指って何だろ?ジャニ事務所の社長の地位(がSMAP再結成まで一旦おあずけ)?くらいしか思いつかないw

Ep. 4は空想宇宙かもしれないけど、その中のいくつかは近未来かパラレルワールドで実現したらいいね、っていう感じ?慎吾ちゃんの歌の奪還をアシストしてくれたのはキムタックを連想させるベーグル職人。中居さんは野球のボール?グラスの中の人?この世界には上二人も必ずいるでしょう。
『新しい詩』はファンへの愛に溢れています。「諦めろよ、クソ野郎」ってジャニ事務所やマスコミや外野の野次馬から言われたのはメンバーだけじゃなくてSMAPのファンでもありました。世界のどこかにいる「君」は歌を聴いているファンの一人一人。地図を頼りに夜の向こうに「約束の場所」があると信じて探しに行く3人(5人?)の旅は旅程も不明で道を探しての旅だけど一人じゃないから旅の途中で支えてくれるNAKAMAがいるから笑って進もうっていうことなのかな。NAKAMAはファンだけでなくジャニ事務所の圧力があるのに共演して下さっている芸能人のみなさん、クリエーターの方々、アベマテレビの藤田社長、サントリーその他のスポンサーさんも3人が独立後覚束ない足取りで進む中手をさしのべてくれた貴重なNAKAMAです。慎吾ちゃんの「君」っていう言い方がソフトで優しくて自分が言われてると思うとファンの人はドキドキだよね。

流星の進路が変わって地球から逸れたのは空想か現実か?歌喰いはバンパイアのように消えてしまったの?

そのうち来るかもしれない空想のKUSO UNIVERSEを出ると現実世界に戻ります。
吾郎さんの手は潰されたままで、慎吾ちゃんは歌も絵も喰われて真っ白なキャンバスに一から絵を描くところからはじめてる。SMAPもSMAPの歌も取り戻せていない今とシンクロしますね。

兎にも角にもとっても楽しい映画でした!
上は私の「個人的な」解釈ですので、読まれる方もご自分で自由に解釈して楽しんでください。
もう上映期間が終わってしまったので、ネタバレですがこの記事をツイで拡散していただくのは全然かまいませんよ。

Yumey

『クソ野郎と美しき世界』:『走れメロス』の示唆するもの

新しい地図の活動がはじまった頃から仕事の方もハンパなく多忙になりご無沙汰していたブログですが、久しぶりの投稿。

『クソ野郎と美しき世界』についていろいろ語りたいことがありましたが、中学高校で私が一度も読んだことがなかった太宰治の『走れメロス』の筋書きを知って他のことが全部ぶっ飛んだ。
言うまでもなくEp.1に登場する吾郎さんの女友達の文学少女がひたすら走るフジコちゃんを見て呟いていた小説の題名です。

注目したいのは少女が何度も繰り返しタイトルを口にしていること。
観ているファンに「気づいて」とパリピアの3人が訴えてる。
何を伝えたかったのか。
SMAP騒動の真実の一部です。

一度だけ、ただ一度だけそんなことがあった。

SMAPの5人はファンには包み隠さず正直に伝えてくれています。
そんな状況に追い込まれていた彼らの苦悩を考えると今でも胸が痛いよ。
発する言葉もなく涙がとめどなく零れ落ちる。

Yumey